京都府職員労働組合 -自治労連-  Home 情報ボックス 府政NOW 京の写真館 賃金 料理 大学の法人化



2016年04月18日

賃上げ・最賃引き上げの要求切実
5月1日はサンデーメーデー

生活改善・安保法制廃止声高らかに

 5月1日はメーデーです。昨年を下回る賃金改定、実質賃金の4年連続低下、最賃の抑制など労働者の生活改善を求める要求は切実。戦争しない国から戦争する国へつくり変える安保法制=戦争法の廃止、緊急事態法、原発、災害対策など切実な要求が結集されるメーデーとなります。

米国のゼネストが起源/〈メーデーの歴史〉8時間労働制を求めて

「働く者の祭典」であるメーデーは、今から130年前に米国で行われたゼネスト(企業、産業の枠を超えて行われるストライキ)が起源。長時間労働に苦しむ働く者たちの8時間労働制を求めるたたかいから始まった。

 資本主義が勃興した19世紀、労働者は低賃金と劣悪な労働環境、一日十数時間にも及ぶ長時間労働に悩まされていた。1886年5月1日、現在の米ナショナルセンター「AFL‐CIO(米国労働総同盟産別会議)」の前身組織が8時間労働制の実現を求めてゼネストを敢行。シカゴを中心に、約35万人が参加し、労働時間短縮を約束させるなどの成果を得た。

 しかし、警察を抱き込んだ資本側は、警官への襲撃事件をでっちあげ、スト参加の労働者を弾圧。十分な証拠もなく組合指導者たちを処刑し、約束を反故にするとともに、運動を鎮静化させたのである。

 その3年後、フランス・パリで開かれた国際労働者大会は、翌年5月1日に全世界で8時間労働を求める行動を決定。米国、欧州、南米、豪州などでストライキやデモが行われ、現在まで続いている。

 日本では、女工哀史の時代だった当時、メーデーは弾圧され、行えなかった。1905年に幸徳秋水ら社会主義者が初めて「メーデー」の名を冠した集会を行ったが、4年後の大逆事件で幸徳らが処刑され、運動は停滞へ。ようやく開いた第一回メーデーは1920年(東京・上野公園)。以降、年々開催地と参加者を増やしていった。(写真・1950年の京都のメーデー。戦闘は当時知事だった蜷川虎三さん)

 日中戦争本格化から敗戦までの10年間は禁止され、46年に復活。働く者の祭典は、人間らしい働き方を求める多くの人々の遺志を継ぎ、今日に至っている。

〈メーデー・フランス〉5月1日待たず巨大運動噴出/労働法大改悪阻止で緊迫

 昨年の同時テロで国家非常事態令下にあるフランス。だがテロも非常事態令も、フランス人からデモを奪うことはできなかった。それどころか今春は、メーデーを待たずに巨大な運動が次々噴出している。

 発端は2月18日に「エル・コムリ法案」と呼ばれる労働法大改悪案が、事前協議もなく打ち出されたこと。これまで難しかった解雇や労働時間延長を容易にし、解雇賠償金にも上限を設けようとするなど、フランス人が世界に先駆けて闘い取ってきた労働モデルを粉砕しかねない法案だ。

 このため財界と保守政党は大賛成。だが怒った労働者(労働総同盟=CGTら)と大学生・高校生(仏全学連=UNEFら)は直ちにデモや学校封鎖行動に立ち上がり、3月9日には「エル・コムリ法案完全廃案」を求める労学7組合共闘の50万人デモ(UNEF発表)がフランス全土を席巻した。

 スローガンにも「若者が街頭に出た以上、エル・コムリ、お前も終わりだ」「左翼が右手で書いた法案」など、激しい怒りがほとばしった。

共闘デモはすでに1カ月で6回にのぼっており、メーデー直前の4月28日にも7回目の全国デモが予定されている。

 また3月31日には新たな運動も発生した。その名は「ニュイ・ドゥブ」(立ったままの夜=不寝番)。

フランス共和国を象徴するパリのレピュブリック広場を市民が埋め尽くし、討論会、上映会、総会などを連日連夜続けるという新コンセプトで、フランス全土の各市をはじめスペイン、ベルギー、ドイツ、ポルトガルにも波及した。

こうした波状行動で追い詰められた政府は、「エル・コムリ法案」の一部を「左翼化」して修正。さらに4月11日には、大学生・高校生代表と直接交渉せざるを得なくなり、卒業後の奨学金支給延長、有期限雇用をした企業への課税など、総額4~5億ユーロにのぼる措置を約束した。

だが、妥協路線の一部組合は「改良された」と評価したものの、7組合は満足しておらず、財界と保守陣営は「後退だ」と非難。法案の行方は混沌(こんとん)としている。

こうしたなか共闘7組合は、当面「エル・コムリ法案」廃案闘争を最優先。5月1日の動員手法も情勢に応じて決めてゆく方針だ。

もっとも、百万人を超すデモもまれではない〃メーデー大国〃フランスでは、動員がなくても全国民がメーデーを祝う。デモは産業別や地方別に当然おこなわれ、スズランの花を売りながら全国民が公休日を満喫する。この日やむなく仕事させる企業は、当該従業員に2日分の給与を払わねばならない。フランス人からメーデーを奪うことは不可能だ。

5月3日には「エル・コムリ法案」の国民議会(下院)審議がいよいよ開始される予定で、情勢は緊迫の度を深めている。
(フランス在住ジャーナリスト・著作家 山本三春)

〈メーデー・米国〉サンダース候補がデモ計画/時給引き上げ運動と連携

 民主党予備選挙で大統領候補の椅子を争うバーニー・サンダース上院議員がメーデーでデモ行進を組織するという。ロサンゼルスタイムズ電子版(2月22日付)が報じたものだが、これまで大統領予備選挙の候補者が公式にメーデーのイベントを組織したことは記憶にない。

 8時間労働を求める米国労働者のゼネスト(1886年)がメーデーの起源だ。世界中でメーデーが労働者の祭典として祝われる中、米国では長い間、同年に起きた流血を伴うヘイマーケット事件の記憶は封印されてきた。

 近年になって、メーデーは不法滞在状態にある移民労働者やその家族の権利を守る象徴の日へと変化した。そこに、時給引き上げを求める運動(15ドルのための闘争)が連動するようになった。現在、民主党、共和党それぞれの大統領候補を決める党員集会が行われている。それと歩調を合わせて、「15ドル運動」も展開されている。

 これに呼応したのがサンダース上院議員だった。彼がメーデーで掲げる要求は次の通り。

  「団体交渉を行いやすくする」「税金逃れを行う大企業に応分の負担を担わせる」「連邦最低賃金を15ドルへ引き上げて、週40時間以上の労働者を貧困状態から引き上げる」「インフラ整備に5年間で1兆円を投資して1300万人の雇用を生み出す」「雇用減少を招く自由貿易協定を破棄する」「若年者向けに55億ドルを投資して100万人の雇用を生み出す」「賃金格差を解消する法律を法制化する」「12週間の育児介護休暇と2週間の有給休暇(バケーション)、7日間の有給病気休暇を与えること」

 メーデーは、移民労働者のためのイベントから、全ての労働者のものへと脱皮し始めている。(労働政策研究・研修機構 山崎憲主任調査員)
 (連合通信) 

府職労ニュースインデックスへ