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2013年 3月 4日

59年前の悲劇、苦しみは今も 
核兵器のない世界」をめざす

被災59年3・1ビキニデー集会

 米国水爆実験によって日本人漁師が死亡し、地元島民の生活と健康が奪われた「ビキニ事件」から59年を迎えた。3月1日は事件が起きた日。核なき世界の実現や放射能被害の根絶を求める声が相次いだ。

▼1954年3月1日 ビキニ事件

 米国は1954年3月1日、太平洋マーシャル諸島のビキニ環礁で水爆実験を強行。周辺で操業中の日本の漁船など1000隻以上や多くの島民が、放射性物質を含む「死の灰」を浴びて被曝した。静岡・焼津港所属のマグロ漁船、第五福竜丸の乗組員23人全員が急性放射線障害に侵され、無線長久保山愛吉さんが亡くなった。

 事件は翌年の第1回原水爆禁止世界大会開催のきっかけになった一方、日米両政府は乗組員の被曝を核実験が原因と認めず賠償で事を済ませた。国内に陸揚げされたマグロの検査も54年末で打ち切られるなどしたため、事件の全ぼうは隠されたままだ。島民の大半は今も放射能で汚された故郷に帰れず、苦渋の生活を強いられている。

▼核兵器完全禁止条約の交渉開始求める署名実現へ

 「核兵器のない世界へ」をスローガンとする、被災59年3・1ビキニデー集会(主催・原水爆禁止世界大会実行委員会など)が3月1日に静岡県焼津市内で開かれた。約1700人の参加者は、国連へ提出する核兵器禁止条約交渉開始を求める署名の力で目標を実現させようと誓い合った。

 今年は2月27、28日に静岡市で催された国際交流フォーラムを経て当日を迎えた。参加者は、焼津駅から事件の犠牲者である久保山愛吉さんの菩提(ぼだい)寺である弘徳寺まで行進。同寺で墓前祭を執り行った。

▼被害の報告相次ぐ
 
 集会では、主催者報告に立った実行委の野口邦和・日大准教授が「国際世論の反対の中、北朝鮮が核実験を強行するなど人類絶滅の危機は終わっていない」と指摘。第五福竜丸元乗組員の大石又七さんは、福島原発事故に関して「59年前から内部被曝が起きていたことを日米の政治家は知っていたはず」と批判した。

 日本原水協は今年1月、水爆実験の深刻な被害を受けている太平洋のロンゲラップ島に支援団を派遣した。その代表も登壇し、「島に戻りたくても残留放射線が心配で戻れない」という島民の声を伝えた。

 最後には「核兵器全面禁止の流れを加速するため、ビキニデーを出発点に全国の草の根から行動を広げよう」とするアピール文を採択。8月の原水禁大会に向けて運動を強めていくことを確認した。

ロンゲラップの現状伝える/日本原水協の島民支援団/「放射線に今も苦しむ」

 3・1ビキニデー集会では、日本原水協が1月に派遣した太平洋マーシャル諸島のロンゲラップ島民支援代表団から放射線被害に苦しむ現状が報告された。

▼「死の灰」が降った島

 ロンゲラップ島は、54年3月1日の米国水爆実験で「死の灰」を浴びて以降、深刻な放射能汚染にさらされている。米国は3年後に帰島を認めたが、島民が白血病などの放射線障害で死亡するなどしたため再避難を余儀なくされている。

 支援代表団は1月13日から22日まで現地に滞在した。島民の健康相談や交流を行い、実際に島へ渡って除染の状況も見学。地元政府や自治体の関係者にも面会した。

 集会では、現地の複雑な状況が報告された。米政府が現在も帰島・再定住計画を進めようとしており、地元首長も賛成するが、島民からは残留放射線を心配する声が多かったという。健診の結果、死産や流産を経験した女性が多く、避難先でも地元産食品による内部被曝の危険にさらされていることが伝えられた。

▼「安全な生活へ妥協せず」

 代表団の一人、小抜勝洋さん(福島県郡山医療生協)は「核の影響で59年間たっても戻れないという現実があることを知った」と感想を述べた。その上で「放射線への不安がない生活を求めることは、福島もロンゲラップも同じ。完全に安全に生活できる環境を求めて、妥協や折り合いはしてはいけない」と訴えた。

                             

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