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原爆資料館で核兵器の恐さと残酷さ体験 舞鶴・Oさん
 
 世界大会1日目の開会式で今から61年前、20歳の時に被爆したと言う人の話を聞いた。
 「指がちぎれ、肌が焼け落ちました。誰も助けてくれませんでした」
 私は状況を思い浮かべようとしたが、できなかった。可哀想だなぁと一瞬思ってから、考えるのが面倒くさくなってやめた。
 世界大会の2日目、原爆資料館に初めて入った。熱線を全身に受け、肌が焼けただれた女生徒や、頭に突き刺さったガラス片を取り除いてもらっている幼い子どもの写真を見た。汚れてひび割れた腕時計は、8時15分で止まっていた。思わず顔をしかめ、「自分が生きているのがこの時でなくて良かった」と心底ホッとした自分に気付き、嫌気が差した。
 資料館を出た後に、「政府とNGOとの対話」というフォーラムに参加した。アメリカをはじめとする国々が、1年間に1兆ドルものお金を軍事費にあてているらしい。
 そのお金をもし発展途上国に使えたなら、400万人の貧困を救うことができ、3800万人ものエイズ患者の治療ができるという。
 核兵器を所持する国は「我々は核兵器を使わないが、欲しいのだ」と言っており、まだ核問題はゴールに達していないという。
 資料館を見てきたばかりの私はだんだん訳が分からなくなっていった。爆弾を所持することにどのような価値があるのだろう。核兵器戦争での勝者は嬉しいのだろうか。
 歴史はそれぞれの国によって偏見を持ってしまい、歪んでしまう。大切なのはバランスの取れた見方をし、どれだけ人類が苦しんだのかを知るべきだ。これは資料館に行かないと絶対に分からないものだと思う。
 この大会を通して、核兵器の恐ろしさと残酷さを痛感したと共に、こういう事について今まで知識を持とうとしなかった自分を情けなく思う。そして今こうして生きていることに感謝しながら、平和を世界に広げようと頑張っている人たちの力になりたい。
 もし今核兵器を使われ目の前で大切な人たちを失い、それを「正義だ」と言われても私は絶対に許さない。

広島で犠牲になった3歳の子と三輪車見て深い悲しみに 教育・Kさん

 私の祖父はビルマ(現ミャンマー)で戦死しています。学生の時に、今年亡くなった祖母とミャンマーへ慰霊に行き、当時とさほど変わらないであろう、だだっ広いマンダレーの丘に立ったとき、こんなに遠くまで死ぬために来て、と祖父が本当に可哀想だと感じました。
 ところが、広島の平和記念資料館で焼け焦げた三輪車を見て、それが原爆の投下された当日も大好きな三輪車で遊んでいて被爆し、亡くなった3歳の男の子の三輪車であり、父親が、死んでからも遊べるようにと男の子の亡骸と一緒に埋められていたものだと知ると、普通に生活している人々が原爆によって犠牲になったということの哀しさはもっと深いものであったのだと感じました。
 今回初めて原水爆禁止世界大会に参加させていただきましたが、海外からの参加者も含めたとても大きな大会であるけれども、その大会を構成しているのは、核廃絶へ向けた運動に取り組んでいる、そんなに大きくはない団体であり、個人であり、何より一人ひとりの「思い」であるのではないかと感じました。
 特に二日目の分科会「『平和の文化』を考える」では、歌や、歩くこと、詩を書くことなど様々なアプローチで平和へのメッセージを伝えておられる方々の取り組みを知り、このような小さな取り組みが、戦争抑止への力に繋がっていくのではないかと思いました。私も小さな第一歩を踏み出してみようと思います。


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