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府職労ニュース



2014年 6月 9日

家族、地域、人格奪った福島原発事故
福島レポートト①

ゼネコン丸投げでは復興はすすまない

 5月21日、「大飯原発再稼働差止め」の判決が、福井地裁で下された。福島第1原発事故後、初めての「差止め」判決。地裁は「原発は人権侵害」との憲法精神から「ひとたび深刻な事故が起これば多くの生命、身体やその生活基盤に重大な被害を及ぼす」として、人格権を優先させた。府職労連は5月18日から21日の日程で、京都宣伝センター(機関紙協会京滋地本)の「福島共同取材」に参加し、福島原発事故の被害の実態、住民の思い、復興への歩みなどを取材した。福井地裁が「人格権尊重」を高らかに謳い上げた判決がいかにと尊いものであるか、福島の今が実証している。(写真は、南相馬市の太田川下流。原発から20キロ圏内。3年前の東日本大震災で破壊されたままの橋や鉄橋、道路)

▲いまだに放置される除染されない田畑

 福島第1原発に近い南相馬市に向かう途中に飯舘村がある。原発事故直後、全住民に避難指示が出された地域。現在は、「居住制限地域」になっており、昼間だけ住民の帰還を許されている。田畑の除染作業が行われ、土地の表面が削り取られている地域、事故前のままの地域に分かれているが、除染が進んでいるようには見えない。

 車を走らせながら線量計(あまり性能よくない)で線量を測定すると、2・3マイクロシーベルトの数字を示した。その後、村の中心部に行くと3・35~3・45にひきあがった。この数値を年間の線量にすると、18ミリシーベルトになる。

 ちらほらと、除染された土や草などが詰めこまれた「フレコンバック」(大型のビニール袋)が田畑に積まれ、ビニールシートがかぶせられていた。
 昼間帰還した住民の車だろうか、「活性化センター」の駐車場にかなりの台数が駐車してあった。村役場の近くには「美しい村を子どもたちに」の看板があった。今や、子どもの姿は全くない。

 野生化した犬や猫、家畜が心配されていたが、犬は柵で囲まれた牧場のようなところに隔離されていた。

 大気中の放射線量が減少したとはいえ、山の蓄積された放射能はまだまだ高い線量を残している。全く除染は行われていない。いつ、住民が帰還できるか、めどは立っていない。

▲津波で全壊、規制区域で手つかずのまま

 福島市から車で1時間30分、南相馬市内に入った。2年前に訪れた時は第1原発から20キロ地点になる国道6号線は関門が設置され、一般車は通行できなかった。現在は、その距離は5キロ地点になっていた。

 南相馬市原町地区の齋藤盛男さんに、20キロ内の津波被害地域に案内していただいた。

 太田川に架かる鉄橋や橋、道路は跡形もない。家屋はほとんどが流されていた。この地区には、いまだに「立ち入り禁止」の立て看板が立てかけてあるところがあった。海岸から10mの高さに建てられた家が、大被害にあっていた。川から遡上した津波と丘まで押し寄せた津波が渦になって襲い、6人の方が亡くなられていた。高台で安心していたのか、逃げ遅れてしまったそうだ。家の形はあっても、中は無残。介護のお年寄りがいたのか、ベッドが悲しみを誘う。原発事故のため、いまだに後片付けも行われないままで残っていた。
(写真は、南相馬市野原町小浜地区。10mの丘にある家は20mの津波に襲われた)

▲帰還できない若い世帯・転出する中高年齢者

 南相馬市内では、市外へ移転していく企業が後を絶たない。製紙会社は5社から1社に減ってしまった。農業は、コメ作りは禁止されているが、今年やっと試験的作付けが始まった。飲食店は、かなり再開しているが、道の駅も営業を再開した。

 原発事故以前から飲食店を営んできた原地区に住むОさん。「店はやっているが、赤字続き。この地で生きていくにはどうすればいいのか。水道は使えないので飲み水はペットボトルを買っている。放射能が心配で、子育て中の若い世代は、東京や仙台の方に避難したまま。私の家族は、親と子どもの3世帯で同じ地域に暮らしていたが、今はバラバラ。親類も戻らない」「皆さん、知恵を貸してください」と訥々と語る。

 Оさんは、年金者組合の人たちと、地域に里山づくりを始めた。モミの林を花と新緑がつつむ里山によみがえらせ、野鳥にも親しめる「ふるさと」づくりに挑戦している。

 若い世帯が帰還しない上に、中高年者が仕事を求めて市外へと転出している状況は、地域破壊を引き起こしている。原発事故の怖さは、人体への影響だけでなく、仕事や住まい、街をも奪っていく。

▲低賃金と労働者不足で進まない除染

 南相馬市内には、たくさんの仮設住宅が建設されている。被災者用の仮設とは別に、除染作業に携わる労働者の仮設住宅も目立つ。県外からの労働者用だろう。駐車している車を見ていると、札幌や千葉、福岡などのものも見かける。

 「当初は、道の駅には全国の車が見られた。仮設もなく、車で寝ていた」と語るのは、年金者組合の齋藤さん。

 この除染作業は、第1原発から20キロ以内は環境庁直轄事業で、20キロ以上は自治体の事業になっているとのこと。

 環境省直轄の除染作業は、ゼネコンが請け負っている。元請のゼンネコンから2次下請け、3次下請けへと仕事が回されるが、ひどいのになると7次下請けまで広がり、労働者の賃金が削られていく。7次下請けの労働者が打ち明けたところでは、元請は3万2000円と危険手当1万円で受注するが、下請けが広がるにつれ危険手当がなくなり、賃金が「ピンハネ」されていく。ひどいのは7500円で働かされた労働者がいる。国と交渉して何とか1万2000円に引き上げたが、「ピンハネ」はひどい。

 それにしても、除染は進まない。もっとも線量の高い山の斜面はほとんど手付かず。道路は70%、田畑は「調整中」として計画すら発表されてない状況。住民が帰るため必要な家屋は、南相馬市で1万4728軒のうち393軒と3%にも満たない。

 除染され、「フレコンバック」に詰め込まれた土や草、樹木は田畑に置かれているが、その置き場所がどんどん広げられ、置き場所に困るとともに最終処分場が決まらず、不安は募るだけ。

 国やゼネコン頼りでは、除染作業は進まない状況。ゼネコンは東京オリンピックのため、「東北から撤退する」と表明するところも。今や、復興は国の責任を問うとともに、除染や生活保障など、被災者の輪を拡げる運動にかかってきている。                                                              

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